紅葉(もみじ)

『嵯峨野・四季のうつろい』岡田克敏写真集

京都・奥嵯峨の紅葉

今年の秋は例年より寒さが厳しいようで、山の樹々の葉が色づくのも早くなるような気がする。

秋の紅葉は古くより「錦」の織物の美しさにたとえられてきた。

『古今集』のなかの秋歌下に「霜のたて 露のぬきこそ よわからし 山の錦の 織ればかつ散る」という歌が収録されている。

山の紅葉は秋になって、霜と露とがおりてきて、日がたつにつれてその色が増していく。織物の経糸は霜が、緯すなわち横糸には露がかかって、彩りを深めていくと表現している。しかし、その糸が弱いのだろうか、織りあがったところから散っていく、との意味である。織物は本来そう弱いものではないが、寒さが増していくと、紅葉が風に吹かれて散っていく、わびしさをこう表現しているのである。

この歌の本題は、『万葉集』にあるそうであるが、この作者たちは、機織をつぶさに見て、よく観察して、表現していると感じる。

今の作家や歌人などよりよほど勉強しているではないか。

京の秋が深まっていく。

今年は私は11月の下旬、大原野神社や花の寺へ行って、なつかしい昔日をしのびたいと考えている。

嵯峨野・四季のうつろい: 岡田克敏写真集嵯峨野・四季のうつろい
岡田克敏 写真集 (紫紅社刊)
嵯峨野は人を、あるときは詩人にあるときは歴史家に、そしてあるときは丸裸で無名の旅人にする。

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「東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要」終わる

10月15日〜19日 大仏開眼1250年慶讃大法要は晴天に恵まれ、華々しく行われ、天平の彩りが再現された。

東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要

東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要


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栗色(くりいろ)

落栗

落栗

栗の樹に、毬 (いが) がはじけるように大きくなって、数えられないほど付く季節になった。秋の風が栗をゆらすと、土の上に一つ、二つと、それが落ちていく。棘がささらないように拾うと、なかには赤味をおびた茶色の艶やかな実が入っている。思わずそれを口にする時のことが浮かんで、舌なめずりするようである。

こうした想いは、王朝の貴人たちもおなじようで、衣裳の襲のなかに、落栗というのが出てくる。『源氏物語』のなかの「行幸」の帖で、九州太宰府からもどって光源氏に引きとられている玉鬘の成人の儀式、つまり裳着の儀式が行なわれる。そのときに、末摘花からお祝いの品が届く。その一枚に「落栗」の色の衣裳があると記されているのである。

この「落栗」は、後世の解説書などに、濃紅、あるいは濃紅に墨を入れた色、蘇芳を黒味に染めたもの、というように、いずれも濃赤を少し黒くした色のような表現になっていて、栗の色をかなり赤味に映ったように記している。

ところが江戸時代に書かれたものには、梅の樹皮をまず鉄漿で黒く発色したあと、石灰で発色したともある。私どもの工房では、栗の毬を煎じて染めて、石灰で発色して染めてみた。そのほうが栗色にふさわしいと感じたからである。

日本の色辞典栗色落栗色落栗の襲の色標本と詳しい解説は
日本の色辞典』をご覧ください。
吉岡幸雄・著 (紫紅社刊)

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芒(すすき)

武蔵野図 六曲一隻/「日本のデザイン第12巻 風月山水草」より

武蔵野図 六曲一隻

私の工房のそばには宇治川が流れていて、その河原は一面の芒 (すすき) が茂っている。そこには観月橋がかかっていて、まさに月の名所であった。とくに桃山時代、豊臣秀吉は近くの伏見山に城を築いたが、この川のほとりに出て、名月を鑑賞したといわれている。今は国道二十四号線がそこに走っていて、そうした昔の風情はないけれども、東の宇治、木幡山あたりから出る月は美しく、河原の芒がそれに添うように秋風にゆれている。

今日、九月二十日は中秋の名月である。空が澄んで美しい月が見られる。十五夜でなくても、満ち欠けがあっても、秋の夜、月をめでるのは心がやすまる思いがする。

日本では月には必ず「すすき」が添えてある。とりわけ江戸時代の絵画、たとえば武蔵野図などには月と細やかな流麗な線で芒の葉が数えきれないほど画面一面に描き込まれている。

そのような意匠は絵画だけでなく、金蒔絵、陶芸そして染織品、とりわけ能装束に多く取り入れられてきた。

暑い夏がすぎて、ようやく心地よい季節になったころ、秋の七草そして菊、紅葉と昔から移りゆく秋色を楽しんできたのである。

やはり日本の秋のよさは、ゆっくりと色が移ろっていくことである。

日本のデザイン12: 風月山水日本のデザイン12: 風月山水草
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊

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萩色(はぎいろ)

梨木神社の萩

梨木神社の萩

9月の声を聞くと、暑さもようやく和らいで、朝夕の風は涼やかになり、虫の声が澄んだ音色で響いて、あたりが静けさを取り戻すように感じる。

小さな3枚の丸い葉が並んでいる、その先のほうに、わずかに青味がかった紅から赤味の紫、そして白へと、暈繝をなすように可憐な花が咲いている。萩の花は、秋が来ていることを告げるように色づくのである。

『万葉集』には次のような歌が詠まれている。

「わがころも摺れるにはあらず高松の 野辺行きしかば萩の摺れるぞ」

私の着ている衣は、私が染めたのではありません。高松の野辺の萩が摺り染めにしたのです。という意味である。萩の花の可憐な彩りに見とれていたので、その花が染まるように思えたのであろう。万葉の人々のおおらかな心が読み取れるような歌である。

しかしながら、花の色素は弱く、そう長く美しい彩りはのこらないだろう。

清少納言が著した『枕草子』には、「女房の装束、裳・唐衣をりにあひ、……朽葉の唐衣・淡色の裳に、紫苑・萩などをかしうてゐ並みたりつるかな」と、宮廷に仕える女房たちが、「をりにあひ」つまり時期にあった、ここでは早秋の、葉の朽ちた黄色、紫苑、萩などの衣裳を着ていることを賛しているくだりがある。

萩の花にふさわしいのは、蘇芳の芯材で染めた色で、その下にはやや緑がかった青で葉をあらわしている。早秋の襲である。

京都では、京都御苑の東にある梨木神社の萩がよく知られていて、まだ明けやらぬ頃に訪れると、露に濡れた美しい萩の花色を鑑賞できる。

日本の色辞典萩色萩の襲の色標本と詳しい解説は
日本の色辞典』をご覧ください。
吉岡幸雄・著 (紫紅社刊)

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