常夏(とこなつ)

『日本のデザイン』第1巻 源氏物語「常夏」より

『日本のデザイン』第1巻 源氏物語「常夏」より

暑い京都の夏をどのようにすごすか。これは現代だけではなく、千年以上も前の都人もそうだった。それを如実に表現しているのが『源氏物語』の「常夏」の帖である。平安時代の寝殿造りの屋敷のなかには池が造られ、小川が流れていた。そこに釣殿という池に張り出した殿舎があった。

この帖は、光源氏が「いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ」という書き出しで始まっている。息子の夕霧や親しい殿上人たちと、西川 (今の桂川) の鮎を取り寄せて、宴会をしている場面である。

京都では、今は5月から鴨川に床 (ゆか) が張られて、涼みながらの食事の光景が見られるが、これの貴族版である。大御酒、氷水、水飯などを食べている。氷水は冬の間、北山に数カ所あった氷室に貯めておいた氷。水飯とは、この当時まだ「茶」が日本にはなかったので、水茶漬けを食べていたのである。

日本のデザイン1: 源氏物語日本のデザイン1: 源氏物語
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊

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杜若色(かきつばたいろ)

杜若の花『日本の色辞典』より

杜若の花『日本の色辞典』より

五月の中頃をすぎると、杜若の花便りあちこちから聞こえてくる。剣を立てたような深い緑の葉の重なりのうえに、わずかに赤味をおびた紫の花がのったように咲いている。

京都であれば、上賀茂神社の末社、大田神社の群生がよく知られている。山科の勧修寺の花も見事である。その美しい姿を見ると、誰もが鮮やかな花の色を衣に写したいという衝動にかられるだろう。

万葉の大らかな時代の人は、「住吉の浅沢小野の杜若衣に摺りつけ着む日知らずも」という歌をのこしている。花染、あるいは摺り染という、子供が道すがら野に咲く花を摺るような遊び心を歌っているのである。だが、このような幼稚な染色では、しばらくは花の色が保たれているが、水に遭えばたちまち流れてしまう。

杜若の花のような紫の色は、古来、高貴な色として尊ばれてきた。それをあらわすには、中国や日本では紫草の根を用いる。

紫草は、杜若と同じ頃に花をつけるが、それは白く小さく可憐である。その草の姿からは、紫の色はまったく観ることはできない。

土のなかに伸びている根に色素が含まれているのである。

私たちの工房では、この根を石臼で搗いてから麻の袋に入れ、湯のなかで揉みながら紫の色を出す。これで染めたあとは椿の生木を焼いてつくった灰の液を漉したもので発色していくと、杜若の花の色になる。

日本の色辞典杜若色杜若の襲の色目について
より詳しくは『日本の色辞典』をご覧ください。
吉岡幸雄・著 (紫紅社刊)

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柳の文様

『日本のデザイン』第9巻より

『日本のデザイン』第9巻より

今回は、柳の文様に注目してみよう。いまの季節、新緑があざやかで、柳葉も身をふるったようにみずみずしい姿を各地の川畔に見せてくれていよう。そんなことを思いながら、『日本のデザイン第9巻』の柳図の屏風絵や襖絵を見ていくうちに、柳の背景にはいかにも人工物が多く描かれていることに気づかされた。桜や松竹梅の絵にはほとんどない人工物である。(物語絵巻は別)

まず橋である。そして水車、舟、蛇籠である。つまり、柳橋水車図なのだ。橋の直線と柳のたおやかな曲線が画面構成の妙といえるわけだが、蒔絵櫛や小袖の文様にも取り込んだ積極性はなぜなのだろうかと思わざるをえない。

平安以来、貴人たちが別業を営んだ風趣な地、宇治の川辺を名所絵風に描けば、すなわち柳橋水車図になるのではないか。憧憬の地を一つの文様パターンにしたさきがけと見ることができよう。

日本のデザイン9: 藤・柳・春夏草日本のデザイン9: 藤・柳・春夏草
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊

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大分県竹田市で紫草復活

5月8日、早朝大阪伊丹を立ち空路熊本へ。

空港で竹田市の広瀬正煕氏の出迎えをうける。明治末年の調査では、46種類があげられている。竹田市の郊外志土知 (しとち)村へ。志土知は紫土とも書くように、古代より紫草が育ったという伝説地。ここに紫八幡社という神社があり、今も村人によって守られている。
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