10月15日東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要の日が近づいてきました。私どもの染司よしおか工房では、様々な染織の仕事をおおせつかっていて、もう追い込みの時が来ています。
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10月15日東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要の日が近づいてきました。私どもの染司よしおか工房では、様々な染織の仕事をおおせつかっていて、もう追い込みの時が来ています。
清らかな流れに出会って、美味しい鮎をたべたい、と思うような季節になってきた。
水色という色名はかなり古くから使われていた。
平安時代の宇多天皇から堀河天皇までの十五代にわたって、宮廷貴族社会のありさまを記した『栄華物語』は、王朝人の色彩感あふれる世界を描き出しているが、そのなかの一節に「海の摺裳、水の色あざやかになどして」とある。
本来は水に色があるのではなく、水色とは海の波面や、山の合間をぬって流れる澄んだ川面に天空を映して、その青さを吸いこんだように見える色をいったのである。
日本ではこうした情景はもうなかなか見られなくなったが、一昨年だったか、夏の岐阜県の長良川の上流へ、鮎釣りの名人という人に連れられて行った。導かれるままに、小さな橋の上に立って、鮎が銀鱗を見せる姿を追ったが、その時の空の青さを映した深い流れを見て「水色」を感じたのである。もうすぐ、私の工房の近くの畑では蓼藍の葉が育ってくる。
梅雨の湿りをおびて、日毎に背が高くなってくる。7月にはいると太陽の強い日ざしが、その葉を色濃くしていく。緑の美しい葉がふれあうように育っていく。
7月も20日をすぎると朝早くから工房の若い人たちと、その葉を摘んできて、細かく刻んで、揉み込んでいく。30分ほどすると美しい緑の液ができる。それに生絹というカイコが吐いたままの透明な絹糸を浸ける。やがて緑は消えて、そこには青の空を映したかのような水色が付いている。それを見ると、王朝人と同じように、その鮮やかな色に眼をうばわれるのである。
水色の色標本と詳しい解説は
『日本の色辞典』をご覧ください。
吉岡幸雄・著 (紫紅社刊)
この原稿を書いているのは7月13日、早いところではもう桔梗の花が咲いている。今年の季の移ろいが早いだけではない。ここ十年、二十年はすっかり真夏の花になっているようである。
だが、桔梗は秋の七草の一つで、江戸時代の琳派の絵には、芒 (すすき) とともに描かれている例を多く見る。今日も近くの宇治川の川辺に群生している芒を見てきたが、まだ穂は出ていなかった。おそらく8月も中頃をすぎないと出てこないであろう。
桔梗の花は、鐘を上にむけたような形で花冠は5つに分かれていて、淡い青紫の色である。私どもの工房では、このような色は藍と紅花をかけ合わせて、「二藍」として染色をする。
梅雨の湿りをおびて、日毎に背が高くなってくる。7月にはいると太陽の強い日ざしが、その葉を色濃くしていく。緑の美しい葉がふれあうように育っていく。
江戸時代の尾形光琳の描いた桔梗図がいくつかあるが、江戸の豪商冬木家のために描いた有名な「秋草文様描絵小袖」は、藍より精製した藍蝋で描いていて、紫系の色は見られない。たらし込みの技法で何気なく五弁の花を描いているが、すばらしい筆はこびで鐘形の立体感が見える。
京都の夏はこれからが本番。早く秋風が吹いてくれる日が来ないかと願う毎日である。
『日本のデザイン2: 秋草』
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊
もうすぐ7月、朝早く起きると朝顔の花が開いていて、その姿を見ると日々の暑さで辛い身体も、少しなごむような気がする。江戸時代に随分改良されて大きな花になったようであるが、もともとはもう少し小さく可憐な花であった。
朝顔の花が絵画やデザインとして染織品や陶器に写されたものはそう多くないが、この鍋島の絵皿などは、小柴垣にからみながら、美しい花を咲かせて、出色の意匠である。
私は京都で育ったので、浅草の朝顔市はまだ知らないが、一度は訪れてみたいものだと思っている。
『日本のデザイン9: 藤・柳・春夏草』
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊
私の染工房の庭にザクロの花が咲いている。新緑の小さな葉のかさなりのなかに、鮮やかな黄味のかかった赤色に、通りかかる人も眼をうばわれるのか、立ち止まっては眺めていく。今年は、例年より早く咲いて、もう散りかけのものもある。そのあとには、これも花と同じような鮮烈な色の小さな実がなっている。
ザクロは中近東からインドにかけてが原産の植物でシルクロードを東進して、中国を経て日本へもたらされた。これほどどこの自然風土にも生育する丈夫な樹も珍しいといわれている。
遠く奈良時代、天武天皇の時に、「朱華」という色名が用いられた。これは中国において、「黄丹」という黄赤の色が尊ばれていたことの影響らしいが、日本の、万葉の時代の人々は、ザクロの花を往時「はねず」と呼んでいて、その花を色名としたらしい。
文字どおり、朱がかった華の意味で、これを表わすには、朱や鉛丹といった顔料がふさわしいが、染色においては、あらかじめ支子で黄色に染めてから、紅花を何度もかけて、濃くしていくのがいい。
ザクロの花も実も初夏の頃は、まさに朱のような彩りであるが、やがて実が生長していくと、緑と赤のまじった果皮になって、なかには赤いジュースを含んだ種がたくさんできる。
果皮は採集したあと、乾燥させておくと、下痢止め、虫下しなどの薬にもなり、染料にもなる。だが、その色は赤ではなくて、渋い黄色に染まる。眼に見える植物の色素の色と、実際に染色した色の不思議な関係である。原産地ペルシャでは絨毯の染料として知られる。
『日本書紀』に登場する「朱花」や
『万葉集』に登場する「朱華」の色について
より詳しくは『日本の色辞典』をご覧ください。
吉岡幸雄・著 (紫紅社刊)