支子色(くちなしいろ)

支子の実

支子の実

夏のはじめに白い花をつけてあたりに芳香を放っていた支子は、秋の終わりから冬のはじめにかけて、黄赤色の酒徳利のような形をした小さな実をつける。

中国ではこの実を古くから染料や薬用に用いていた記録があり、日本でも飛鳥から奈良時代にかけて、糸や布を染め、また食物の着色剤として利用していたようである。

私の工房にも、近くの薬草園や、支子の木がたくさんある寺院から実を送っていただく。天日でよく乾かすと、いつまでも黄赤色がのこっており、水に入れてぐつぐつと煎じて染料とする。

椿の造り花

椿の造り花

二月から三月にかけて行なわれる、南都に春を告げる行事として知られる東大寺のお水取りには、二月堂に鎮座する十一面観音に、和紙でつくった椿の花を捧げる習わしがあって、その染め和紙を私の工房から納めている。花びらは紅花染、においと呼ぶ花の芯はこの支子で染めている。

真紅と白の「一枚かわり」という、花びらの色が紅白交互になっている椿の造り花であるが、そのなかに支子で染めた黄色が鮮やかにのぞいている。

支子は布や和紙を染めることが多く、わずかに赤味がかった濃い黄色になっていく。平安時代の人々は、支子色といえば支子の黄色に紅花をかけて赤くして、実の熟した色をあらわしたようで、支子だけで染めた黄色は、とくに「黄支子」と称していた。

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秋の名残

『京・四季のうつろい』岡田克敏写真集より(紫紅社刊)

京都・秋の名残 大原

今年は何十年ぶりか、紅葉の彩りが美しかったと言われている。

京都もいつもより2週間ほど早く色づき、私も久しぶりに麗しい黄や紅の葉のかさなりを観たようだった。11月11日から大分県竹田市へ出かけたが、九重連峰の秋色も存分に味わうことができた。

とくに、滝廉太郎の「荒城の月」で知られる岡城の紅葉は、まさに時にあっていて、感動的な紅葉の襲を観たようだった。

12月に入って、今日大学へ通う道すがら、叡山電鉄の車窓から比叡山をながめていたが、色を失って、松や杉の常緑樹のいわゆる常磐の色になっていた。

このところ毎日のように時雨があって、時には北の方では白いものが舞っているようだ。

昨日、12月7日、客人と一緒に西山、大原野の花の寺 (勝持寺) と大原野神社へ行ってきた。紅葉はすでに散っていて、参道のわきや庭には、人がまるで敷きつめたように、枯紅葉がかさなりあっていた。

大原野神社にはまだこの紅葉がかなり枝ににこっていて、常磐の森を背景にわずかながら初冬のにぶい光のなかで、紅と黄色が飛び散ったように彩りを添えていた。

京・四季のうつろい: 岡田克敏写真集京・四季のうつろい
岡田克敏 写真集 (紫紅社刊)
洛中洛外の細やかな風景美を愛し、永きにわたって歩きつづけ、撮りつづけた一写真家の、心をとらえた一瞬の自然の美。京都を愛する人への贈り物にもどうぞ。

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松(まつ)

12月17日は春日御祭、午後1時には春日大社、一の鳥居をすぎたところの影向 (ようごう) の松に、田楽、清男 (せいなみ)、猿楽など、御旅所前で行なわれる芸能の一座が参集する。

ここの松は神が降りてくる「影向の松」といわれているが、私見ながら、この名は御祭が始まった平安時代の後期あたりか、もう少し前に「松信仰」がおこったように思われる。

日本では、古来、榊が文字どおり神木であったわけだ。『源氏物語』などの「賢木」の帖にも、光源氏が野の宮にいる六条御息所を訪ねる場面で、榊に木綿(ゆう) (楮の木の白い皮) つけてという場面が見られる。

今日でも、たとえば京都の八坂神社の朱の鳥居にも、榊に御幣が付けられたものが結ばれている。「榊への信仰」とともに、平安時代から松信仰が起きている。

松喰鳥の文様があらわれてくる。正倉院の時代は花喰鳥であるのに、鶴が松をくちばしにくわえている姿が表されてくる。大阪の四天王寺所蔵の「松喰鶴文飾金具錦包懸守」などを見ると松があるからだ。

春日御祭では、神が鎮座される御旅所も松の大木で造られ、屋根には松葉が敷かれている。その一方で、三笠山のふもと春日若宮から神が出てこられる時は、榊に囲まれて出てこられ、還られるときも同じ姿だ。

12月は行事が少なくてさみしい。そんな私にとって、春日御祭が心の拠りどころである。そのようなこともあって、ここでは「松と榊」について想いをめぐらしたわけである。

日本のデザイン5: 鳥・蝶・虫花喰鳥は『日本のデザイン5: 鳥・蝶・虫』より
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊

日本のデザイン7: 松・竹・梅松喰鶴は『日本のデザイン7: 松・竹・梅』より
吉岡幸雄 (編集)
紫紅社刊

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紅葉(もみじ)

『嵯峨野・四季のうつろい』岡田克敏写真集

京都・奥嵯峨の紅葉

今年の秋は例年より寒さが厳しいようで、山の樹々の葉が色づくのも早くなるような気がする。

秋の紅葉は古くより「錦」の織物の美しさにたとえられてきた。

『古今集』のなかの秋歌下に「霜のたて 露のぬきこそ よわからし 山の錦の 織ればかつ散る」という歌が収録されている。

山の紅葉は秋になって、霜と露とがおりてきて、日がたつにつれてその色が増していく。織物の経糸は霜が、緯すなわち横糸には露がかかって、彩りを深めていくと表現している。しかし、その糸が弱いのだろうか、織りあがったところから散っていく、との意味である。織物は本来そう弱いものではないが、寒さが増していくと、紅葉が風に吹かれて散っていく、わびしさをこう表現しているのである。

この歌の本題は、『万葉集』にあるそうであるが、この作者たちは、機織をつぶさに見て、よく観察して、表現していると感じる。

今の作家や歌人などよりよほど勉強しているではないか。

京の秋が深まっていく。

今年は私は11月の下旬、大原野神社や花の寺へ行って、なつかしい昔日をしのびたいと考えている。

嵯峨野・四季のうつろい: 岡田克敏写真集嵯峨野・四季のうつろい
岡田克敏 写真集 (紫紅社刊)
嵯峨野は人を、あるときは詩人にあるときは歴史家に、そしてあるときは丸裸で無名の旅人にする。

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「東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要」終わる

10月15日〜19日 大仏開眼1250年慶讃大法要は晴天に恵まれ、華々しく行われ、天平の彩りが再現された。

東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要

東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要


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