昨年の暮れから、例年になく厳しい寒さが続いている。京都は盆地なので、底冷えがして、からだの動きも少し鈍くなっているような気がしてならない。
私の染工房では、このところ毎朝、工房の前庭にしつらえた竈に稲藁を入れて燃やし、灰をつくる作業が続いている。寒いなか、竈の火をのぞいてしばし暖をとるのは、作業の間の楽しみのひとつである。
植物染の仕事をするうえで、その材料となる植物の草根樹皮を選定することは、極めて重要な要素であるが、それらの材料をつかってうまく美しい彩りに染めるためには、助剤となる灰も重要な役割をはたしている。
私どもは、植物染に用いる灰を、三種類を使い分けている。
冬の植物染に重きをなすのは、さきの稲藁の灰である。黒焼きにした灰を大きな樽につめて、その上から熱湯を注いで二、三日おいておく。その液には藁灰の成分が溶けていて、樽の下方にある栓をあけて液を取りだすと、灰汁ができるのである。
灰汁は紅花の赤を抽出するのに用いる。紅花の花びらには、赤と黄の二つの色素がふくまれているが、我々は鮮烈な赤がほしいわけなので、まず乾燥させた紅花の花びらを普通の水のなかで何度も揉んで黄味を洗い流してしまう。そのあと、藁の灰汁を注いで、さらに花びらを揉みこんでいくと、赤の色素が液に溶けだす。つまり、紅花の赤は、藁の灰汁のようなアルカリ性の液に溶けだすという性質をもっているのである。
このほか、椿の灰は、紫草の根で染めるときに発色剤として用いるし、櫟、楢などの堅木の灰は藍を建てるときに使う。
ところで紅花を染めるのには、寒さのなかでおこなうのがふさわしく、古くから「寒の紅」と呼ばれている。とくに私の工房では、二月から三月にかけておこなわれる奈良東大寺のお水取り (修二会) のおりに、二月堂に鎮座する十一面観音に捧げる椿の造り花の紅花による染和紙をつくる仕事を仰せつかっているので、一月から二月にかけてはその仕事に専念する。
東大寺お水取りのはじまりは、天平勝宝四年 (七五二) で、十一面観音に罪過を懺悔して罪の消滅とともに、天下泰平 (せかいへいわ)、風雨順次、五穀豊穣、万民快楽を祈るという法行である。今日まで一千二百五十数回、一年たりとも休まずにおこなわれている、世界でも類を見ない行事である。
毎年東大寺とその末寺から十一人の連行衆が選ばれて、二月二十日から別火坊と呼ばれる戒檀院の庫裏にこもって、三月一日からの本行にそなえている。
私は今年の冬の紅花染を、とくに楽しみにしている。それはこれまで使っていた中国四川省産の品質の高い紅花と、山形県産の紅餅にしたものに加えて、三重県伊賀市の榮井功さんが栽培してくださった紅花も使えるようになったからである。それぞれの紅花を混ぜないように作業をして、和紙に染めてみて、色の美のわずかな違いを見てみたいと考えている。
工房では、京都府綾部市黒谷という紙の郷で漉かれている楮手漉和紙に、椿の花の色にふさわしく濃紅に染めたものを六十枚、白を六十枚、そして花芯になる黄色を支子の実で三十枚染めて、東大寺に納めることにしている。
二月二十三日は、試別火 (ころべっか) という修行期間のなかの、花拵えの日である。連行衆と堂童子と呼ばれるお手伝いの人たちが円座になって作業ははじまる。
花の芯は、タラの木をけずって長さ三センチほどの五角形に整える。それに支子で染めた黄色い和紙を細かに裁ち目を入れて巻いて花芯とする。これに紅花染めの赤三枚と白二枚の花びらのかたちにした和紙を交互に貼ると、椿の花ができあがる。
その数およそ五百個が、昼までに完成していく。二月二十七日にそれらの造り花は、東大寺の裏の春日山から切り出された椿の生木に、あたかも咲いているように挿されて、三月一日の本業のおりに二月堂の十一面観音の周りに飾られるのである。
お水取りは毎夜夕暮れのあとの松明の灯りではじまる。お堂のなかはお燈明だけに照らされただけの陰影の深い世界であるが、濃き紅の花は、そのなかで鈍く輝いている。
今年もどうか美しく咲いてほしいと願いながら、染めの作業が今日も続いている。