「染司よしおか」とは

染司よしおか(そめのつかさ よしおか)は、京都において、江戸時代の末頃から続く染屋で、当代で5代を数えます。
 現代、私たちの着る衣裳の色彩と文様は、そのほとんどを化学染料と機械の生産にたよっていますが、染司よしおかは、色は植物染料により、布は手仕事によって織られるものをもっぱら用いています。

古来、世界の文明の発達した地では、自らを華やかな衣裳で装うようになりましたが、その美しい色を表わすために、染料として草樹の花びら、実、幹、樹皮、根などにひそんでいる色素を汲み出し、さらに木の灰、藁灰、土中にある金属などもたくみに操ってきました。近代ヨーロッパの繁栄は、1760年代にイギリスにはじまり1830年代にヨーロッパ各地に及んだ産業革命がもたらしたところが大きいのですが、このとき、糸を紡ぎ、布を織る工程は、蒸気機関による機械生産へと移ってゆきました。そして色は、石炭から化学的に合成されるようになりました。

日本においても、明治になって怒濤のように西洋文明が押し寄せると、化学的、機械的な生産へと変貌をとげていったのです。
 染司よしおかは、そうした産業革命以前の、つまり日本においては6世紀以降、飛鳥天平の昔から江戸時代の終わりまで、人々が日常的に営んできた、草木花から色を汲み出し、美しい染織品を生み出すという伝統の技を、現代にも甦らせることを目指しています。

このような伝統的な技法は、奈良時代の古い寺社の行事にも役立てられています。3月、春まだ浅い古都奈良では、東大寺のお水取りが行われます。二月堂に鎮座する十一面観音像に、練行衆が天下泰平、五穀豊穣などを祈る行事で、1200年あまり前から、1年たりとも途絶えることなく続けられています。そのおり、十一面観音には和紙による椿の造り花がささげられますが、その染色には染司よしおかが毎年携わっています。毎年寒くなると、1日に3キログラムの紅花の花びらを使って赤い色を染めます。まず水で黄色い色素を洗い流したのち、藁灰からとった灰汁で揉み続けて赤い汁、染料をつくります。

さらに米酢や熟した梅の実を燻蒸した烏梅の水溶液を加え、鮮やかな椿の花びらの色に和紙を染めていくのです。

さらに西の京の薬師寺では、3月30日から4月5日まで、花会式が行われ、金堂の薬師如来に梅、桜、杜若など10彩の造り花が献じられますが、そのなかの4種を受け持ち、とりわけ高貴な色である紫草の根で染められた杜若の紫の染め和紙は、ひときわ堂内で輝いています。

また、秋の9月15日、京都石清水八幡宮で行われる放生会という平安時代から続く祭礼のおりには、12カ月の造り花が神前に奉じられますが、これも毎年奉納しています。
 そして、東大寺や薬師寺の法要のおりには、伎楽という、奈良時代に演じられていた無言劇が上演されますが、これは、昭和55年、東大寺大仏殿昭和大修理の落慶法要にあたり、NHKが中心となって復活させたものです。

この伎楽装束一切の制作も染司よしおかがあたり、正倉院宝物などを復元しながら、天平の色と技法を現代に甦らせるべく研鑽をかさねています。

染司よしおかの仕事は、自然に育まれた植物から、いかに美しい色を生み出すか、ということであり、地下100メートルから汲み上げられる水と、時間にとらわれることなく、丁寧に自然と向き合う手にささえられる工房では、ゆったりと静かな毎日が繰り返されています。

紅花の花びら、紫草の根、団栗の実、刈安の茎、蘇芳の芯材など、植物のなかにひそむ色素をとりだして、糸や布を染める。 また、染色には何種類かの灰が手助けをしてくれますが、櫟などの堅木の灰は藍を建てるために、椿の木灰は紫を鮮やかに染めるために、藁の灰は紅花から美しい赤を取り出すために、それぞれ必要なものです。そのため、これらの木や藁も、毎日のように竈で燃やす。  
 ─こうした自然の恵みを用いて、いまもいにしえの法を守りながら仕事を続けているのです。古きを温ねる仕事ではありますが、21世紀に向けて、地球にやさしい環境を築く、ともいえる仕事です。

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