藁 (わら) の灰


今年は、桜のたよりも駆け足でやってくるような温かさである。寒いあいだは、私たちの工房では紅花染をもっぱらとしていて、藁の灰を毎日のように前庭にある竈で燃やして、その灰汁で、花から赤を搾り出すのである。

灰汁をとったあとの灰は、陶芸家の方々がとりにこられる。釉薬として使われるのである。

灰には、アルカリの成分が入っていて、染色にはそれを用いるわけであるが、それが、湯のなかに溶けていって抜けたあとにはケイ酸がのこる。それが高温で燃焼すると、陶器の表面をガラスのようになめらかにするのである。

日本は稲の国である。米を主食として生活し、そののこりの藁を灰にして、染色や洗濯、絹の練りなどのアルカリ性の溶液として使ったり、さらに陶磁器にも用いる。

また、藁は畳のなかに入れたり、納豆の包みなど、古くから日本人の生活にかかせないものであったのである。

四月になってさらに気温があがってくると、紅の色はさえなくなるので、その仕事はこの秋の終わりまでしばらくは休むことになる。

このところは椿の灰を造っている。この稿で何度も書いたように、椿の生木を燃やした灰には、アルミニウムの成分があるようで、紫根染、黄染、刈安染などをする場合には、媒染材、発色材として用いるので、いわばこれも工房の常備品なのである。

このところ、兵庫県姫路市に近い、福崎町の蓮華寺さんのお仕事をさせてもらっているが、そこの境内の椿の木の剪定をされたそうで、それをたくさんいただいた。

工房の福田伝士氏は、このところ朝、工房に来ると、その椿の木を燃やして、灰を毎日のように造っている。

かつては灰屋という商店がいくつもあって、紺灰座という藍染用のものがあったように、それぞれの用途に応じて灰を造っていた。

江戸時代の初め、灰屋紹益(佐野紹益)という豪商がいて、島原の名妓・吉野太夫を身請けしたという話がのこっている。灰屋は今でいう化学会社で、大きな商いであったようである。


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