「東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要」が近づく


10月15日東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要の日が近づいてきました。私どもの染司よしおか工房では、様々な染織の仕事をおおせつかっていて、もう追い込みの時が来ています。

幡、「ばん」と読みます。仏教の寺院でかけられる幟、旗のようなものです。昭和55年の大仏殿大修理の法要の時は、私の叔父にあたる日本画家、吉岡賢二が、茜と白地に金泥で、「飛天の図」を描き、大仏殿の前に二旒を制作しました。私の父は、夾纈染で唐草文を染め、前庭にたくさんの幡がひるがえりました。

今回は、それに加えて、杉本建吉先生の手描き幡、十二旒が慶賛法要に新調されます。その杉本画伯の意匠をうけて、私どもの工房では、天然染料と岩絵具を使って、幡を制作しています。大仏殿、中門、南大門にかけるもので、7月25日、実物大のものを麻の無地の裂で縫って、試し吊りをしました。

7メートル余りの大きなもので、風にゆられるなどの計算をたてておかねばなりません。

それに、15日に行なわれる伎楽装束も、あと20数人分、新しく染めます。

今から1250年前、大仏開眼の儀式の総指揮をとったインドの僧、菩提遷那 (ぼだいせんな)の像が、今回、新しく制作されました。その「開眼の儀」を、天平の昔と同じく、管長が眼に筆を入れる際に、大仏様と3000人に及ぶ当日の招待参列者に、筆に結ばれた「 ()」の紐がいきわたるように、古法にのっとって五色の絹紐を染めております。

天平時代の紐が今も正倉院に伝えられていて、それらを参考にしています。



カテゴリー: 大仏開眼1250年慶讃大法要, 東大寺
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