大分県竹田市で紫草復活


5月8日、早朝大阪伊丹を立ち空路熊本へ。

空港で竹田市の広瀬正煕氏の出迎えをうける。明治末年の調査では、46種類があげられている。竹田市の郊外志土知 (しとち)村へ。志土知は紫土とも書くように、古代より紫草が育ったという伝説地。ここに紫八幡社という神社があり、今も村人によって守られている。

天平時代の正倉院文書のなかの豊後国正税帳に、「紫草園」つまり紫を栽培している所があり、それが太宰府を通して、税として奈良の都へ納められていたということが記されている。このたび、この古代の紫草を復活させようと試みたのが、竹田在住の中川藤義氏、十時成也氏、広瀬正煕氏らである。去年、竹田市はこれを機に紫のシンポジウムを行い、私も参加させてもらった。

その時、見事に生長した紫草を見たのである。紫草は自生であれ栽培であれ、生育の条件がむずかしく、絶滅のおそれさえあるといわれている植物である。

紫草の花

紫草の花

今からはるか千二百数十年前に、このあたりで紫草があったということは、ここの自然条件がよいということである。こうした栽培の復活を機に、たまたま今年が東大寺大仏殿建立の1250年の記念すべき年であり、この竹田の紫草を使って、糸を染め、織物にして、東大寺管主に天平の昔の紫の僧衣を着てもらうことになった。そこで私と工房の福田伝士氏、秦宏子君とで、ここの畑から新しい紫草の根を抜いて染色するためにやってきた。

志土知の神社でその復活を祝って奉納祝祭が行われ、村の人々がつくってくださった初夏の山菜などの郷土料理を味わって、皆でその喜びを分かちあった。

そのあと3日間、紫草の染色を行ったが、やはり堀りたての根は、色も出しやすく、鮮やかに染まって、ほぼ私たちが考えている高貴な紫の色になってくれた。ご協力賜った竹田市や手伝っていただいた方々に感謝する気持ちでいっぱいである。

竹田市の紫草の染液で染めた絹糸

竹田市の紫草の染液で染めた絹糸

この紫染の糸はこれから京都で機にかけられて、秋の東大寺の記念行事のときに管長の僧衣となる。

その様子は順次ご報告していきます。



カテゴリー: 東大寺管長紫衣
タグ:
この投稿のURL