染織史家 吉岡幸雄 プロファイル

1946年   京都市、江戸時代から京都で四代続く染屋に生まれる。
早稲田大学第一文学部卒業後、美術図書出版「紫紅社」を設立。
『根来』、『琳派』(全5巻)など多数の美術工芸図書を出版。
『染織の美』(全30巻)、『日本の意匠』(全16巻)の編集長。
美術展覧会「日本の色」「桜」(銀座松屋)企画、監修。


1988年   生家「染司よしおか」五代目当主を嗣ぐ。

1991年   奈良薬師寺三蔵院に掲げる幡五旗を多色夾纈にて制作。きもの文化賞受賞。

1992-3年   奈良薬師寺「玄奘三蔵会大祭」での伎楽装束45領を制作。
奈良東大寺、伎楽装束40領を制作。
天平の彩りと文様をすべて植物染料による染織の古法にのっとって再現。


1997年   地下鉄南北線溜池山王駅の装飾デザインウォールのアート・ディレクション。

2001年  

中国敦煌の発掘の唐時代の幡 四旒を復元。
       
ドイツバイエルン州ミュンヘン市共立手工芸ギャラリーにて
「染司よしおか展」開催。

法隆寺聖徳太子1380忌にあたり、法隆寺伝来「獅子狩文錦」を
吉田頼修氏らの協力を得て、空引機を制作し、往時の色と文様を復元。


NHK教育テレビ人間講座「日本人の創った色」を12月〜平成14年1月

2002年 -1月 東京OZONEホールにて、植物染 日本の色「虹色どろぼう」
─染司よしおかドイツミュンヘン帰国記念展─開催


  -3月 東大寺大仏殿完成1250年にあたり、正倉院に収蔵される
「鹿草木夾纈屏風」を古法にのっとり復元。


  -10月 東大寺大仏開眼一千二百五十年にあたり、
幡十二旒(杉本建吉画)を制作。
東大寺管長の紫根染による紫衣ならびに糞掃衣を復元し、
10月15日、橋本管長が着衣して大法要にのぞまれた。
開眼の縷を制作。伎楽法要にあたり、装束二十領を植物染料により制作。


  -12月 岩波新書『日本の色を染める』岩波書店より刊行。

2003年   東京日本橋高島屋にて「日本の色 天平の彩り」展を開催。

2004年 -9月 ギンザ・コマツ ギャラリー『松』にて「五大夫の色_うけつぐ彩」展を開催。

2005年 -7月 ドイツのオイティン東部ホルシュタイン博物館において、
山本英明氏、山本隆博氏、と共に「日本の塗りものと染めもの」

(Lack-und Farbekunst aus Japan)という展覧会を開催。

ギンザ・コマツ ギャラリー『松』にて「藍よりあおし」展を開催。


2006年 -5月 染司 よしおか 銀座店 オープン。

  -6〜7月 City of London Festival ‘06《Cross Roads》に参加。
St Bride's Fleet(歴史・由緒ある教会)で、
日本の四季の彩を植物染で表す。


  -7月 ギンザ・コマツ企画《和の心-季の香に親しむ「七夕」》特別講義。

  -9月 横浜高島屋にて「源氏物語の色」展を開催

  -10月 ギンザ・コマツ企画《和の道を探る》 
第一回「正倉院宝物の美」講演会。


2007年 -5月 英国 大英博物館にて講演。

2007年 -11月 英国ロンドン日本大使館にて          
「源氏物語の色 Recreating Genji's Palette」講演。

2008年 -4月 成田国際空港の到着コンコース(第2ターミナルビル サテライト)
がリニューアル完成。   【アートディレクション】
日本の誇る職人の手技をテーマに、和の空間をしつらえる。         
米国アトランタ州 ジョ−ジア大学 インディアナポリス大学  
シアトル ワシントン大学 で講演。


●主な著書
『日本の色辞典』『自然の色を染める』(紫紅社)
『色の歴史手帖』『染と織の歴史手帖』
『きもの暮らし(青木玉氏と対談)』
『京都色彩紀行』(PHP研究所)
『京都の意匠1』、『京都の意匠2』(建築資料研究社)
『京都町家 色と光と風のデザイン』(講談社)
『京のことのは』槇野修との共著(幻冬舎)
『別冊太陽 シルクロードの染織と技法』(平凡社)
『源氏物語 紙の宴』(書肆フローラ)
『日本の色を染める』(岩波新書)
『別冊太陽 日本の自然布』(吉田真一郎と共著・平凡社)
『京都人の舌づつみ』(PHP新書)
『和みの百色』(PHP研究所)
『日本の色を歩く』(平凡社新書)
『日本人の愛した色』 (新潮選書) ほか

2001
【紫のゆかり 〜由来〜】

この名称は、皆様と出会った縁、つまり「ゆかり」を大事にしたいと考え、伊勢物語の逸話をもとに、「紫のゆかり・吉岡幸雄の色彩界」としました。


伊勢物語のなかに次のような一段がある。(新潮社版四十一段)

むかし、女はらから二人ありけり。
一人はいやしき男の貧しき、
一人はあてなる男もたりけり。
いやしき男もたる、十二月のつごもりに
袍(うへのきぬ)を洗ひて、てづから張りけり。
こころざしはいたしけれど、
さるいやしき業も習はざりければ、
袍の肩を張りやりてけり。
せむかたもなくてただ泣きに泣きけり。

これを、かのあてなる男聞きて、いと心苦しかりければ、
いと清らなる緑衫の袍を、見いでてやるとて、

  むらさきの色こき時はめもはるに
  野なる草木ぞわかれざりける

武蔵野の心なるべし。

二人の姉妹がいた。その一人は身分が低く貧しい人を夫に持っていて、もう一人は高貴な男を夫としていた。いやしい男を夫に持っている女が、大晦日の日に、翌日の新春の拝賀の儀式のために上衣を洗い張りしていたが、あまりなれないことであったので、その肩あたりを破いてしまって、悲しんでいた。

これを高貴な男が聞きおよんで、気の毒に思い、立派な緑色の袍を見つけてあげた。そしてそのわけを上のような歌で表した。
むらさきで染めた色で濃いものは眼をみはるものですが、野にあって草木と一緒に生えている時は、紫草といってもそう簡単に区別がつくものではありません。だけど、紫草があれば、そのあたりはその色に染まっていくように、私たちも妻が姉妹ということで、縁があるのです。

最後の「武蔵野の心なるべし」は古今集の「むらさきの一本ゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(よみびとしらず)に基づくものだろう、という後人のことばです。

この歌は、美しい紫草が一本ある。それだけのことで武蔵野の草がすべていとおしく思われる。という意味です。
東京都の武蔵野は古くから、紫草の生える地として知られていました。そこからこのような歌が生まれ、紫のゆかり 紫の色は、ふれれば色が移っていくくらい美しい色である。それと同じように人と人との出会いが、縁を結ぶという象徴になったのです。

この「吉岡版 電子伝達草紙」の名称もこれにならいました。