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●主な著書 『日本の色辞典』『自然の色を染める』(紫紅社) 『色の歴史手帖』『染と織の歴史手帖』 『きもの暮らし(青木玉氏と対談)』 『京都色彩紀行』(PHP研究所) 『京都の意匠1』、『京都の意匠2』(建築資料研究社) 『京都町家 色と光と風のデザイン』(講談社) 『京のことのは』槇野修との共著(幻冬舎) 『別冊太陽 シルクロードの染織と技法』(平凡社) 『源氏物語 紙の宴』(書肆フローラ) 『日本の色を染める』(岩波新書) 『別冊太陽 日本の自然布』(吉田真一郎と共著・平凡社) 『京都人の舌づつみ』(PHP新書) 『和みの百色』(PHP研究所) 『日本の色を歩く』(平凡社新書) 『日本人の愛した色』 (新潮選書) ほか |
この名称は、皆様と出会った縁、つまり「ゆかり」を大事にしたいと考え、伊勢物語の逸話をもとに、「紫のゆかり・吉岡幸雄の色彩界」としました。 伊勢物語のなかに次のような一段がある。(新潮社版四十一段) むかし、女はらから二人ありけり。 一人はいやしき男の貧しき、 一人はあてなる男もたりけり。 いやしき男もたる、十二月のつごもりに 袍(うへのきぬ)を洗ひて、てづから張りけり。 こころざしはいたしけれど、 さるいやしき業も習はざりければ、 袍の肩を張りやりてけり。 せむかたもなくてただ泣きに泣きけり。 これを、かのあてなる男聞きて、いと心苦しかりければ、 いと清らなる緑衫の袍を、見いでてやるとて、 むらさきの色こき時はめもはるに 野なる草木ぞわかれざりける 武蔵野の心なるべし。 二人の姉妹がいた。その一人は身分が低く貧しい人を夫に持っていて、もう一人は高貴な男を夫としていた。いやしい男を夫に持っている女が、大晦日の日に、翌日の新春の拝賀の儀式のために上衣を洗い張りしていたが、あまりなれないことであったので、その肩あたりを破いてしまって、悲しんでいた。 これを高貴な男が聞きおよんで、気の毒に思い、立派な緑色の袍を見つけてあげた。そしてそのわけを上のような歌で表した。 むらさきで染めた色で濃いものは眼をみはるものですが、野にあって草木と一緒に生えている時は、紫草といってもそう簡単に区別がつくものではありません。だけど、紫草があれば、そのあたりはその色に染まっていくように、私たちも妻が姉妹ということで、縁があるのです。 最後の「武蔵野の心なるべし」は古今集の「むらさきの一本ゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(よみびとしらず)に基づくものだろう、という後人のことばです。 この歌は、美しい紫草が一本ある。それだけのことで武蔵野の草がすべていとおしく思われる。という意味です。 東京都の武蔵野は古くから、紫草の生える地として知られていました。そこからこのような歌が生まれ、紫のゆかり 紫の色は、ふれれば色が移っていくくらい美しい色である。それと同じように人と人との出会いが、縁を結ぶという象徴になったのです。 この「吉岡版 電子伝達草紙」の名称もこれにならいました。 |