地図情報
山科毘沙門堂の地図をご覧になりたい方はこちらへ。


琵琶湖疏水の橋

2003.4
京都遊眠行「山科毘沙門堂の桜」

京都で私が桜と出会う場所はいくつかあって、ひとつひとつあげればきりがないが、まず東山を越えた山科の里からはじめることにしよう。

京都から東へと旅するとき、まずはじめに越える山が東山で、それをすぎたあたり、滋賀県との境にある音羽山、逢坂山のあいだは、山科の里という小さな盆地になっている。

北は比叡山から南へ下った如意ケ岳でさえぎられていて、その山際には 趣 のある寺院が幾つかある。

山科はいまは地下鉄東西線が開通し、JR東海道線と京阪電鉄京津線の駅と一体となっていて、あたりは人びとが気忙しく往来している。

その京津線の踏切を北へ渡ってすぐを線路沿いにいくと、北の山に沿った道が開ける。


宸殿と枝垂れ桜

そこから1.5キロほどいった琵琶湖疏水の橋を渡って閑静な住宅街のなかをさらに山間へと進むと、山の冷気が迫ってきて毘沙門堂が見えてくる。

門前にも桜の樹が幾本もあって、その樹の下をくぐると石段が見えてくる。比叡山天台宗の門跡寺院で、苔むした石の階段をゆっくり登って仁王門をくぐると、枝垂れ桜が眼に入ってくる。

もともとは市中の北、出雲路通にあった寺だが、応仁の乱で荒廃し、この山科の地に移して再興されたという。出雲路通にあったころから桜の名所として知られていたようで、この地に移されても寝殿前に枝垂れ桜が植えられたという。

桜のころは街なかはどこも気忙しいが、安祥寺山と柳山という小さな山間にあるこの毘沙門堂は、山科の町の騒音も届かない。桜花の色を静かに観賞できて、私は好んでいる。


琵琶湖疏水のトンネル

毘沙門堂をあとにして、来た道を南のほうへ1キロほど下がっていくと、琵琶湖疏水に出会う。大津の三保ケ峠から山科、蹴上をへて市内に通じる運河が計画され、着工されたのが明治18年。23年にはその第1期が竣工した。

山科盆地の長等山トンネルを出て四ノ宮から日ノ岡峠まで、安祥寺山のふもとをゆっくりと流れている。その両側は松であったが、明治27年、工事のあとも市民の散策の道として整備されて、そこへ染井吉野500本が植えられたという。

それからおよそ100年あまり、松をはじめ樹木も豊かに繁り、山からおりてくる空気は澄み、いまでは樹齢を重ねた美しい桜並木がつづいていて、花の下を流れに沿ってゆっくりと歩くのは楽しい。

哲学の道のように大勢の人が押しかけるわけではないので、私のとっておきである。


諸羽神社


『諸羽神社』

背後に柳山があり、琵琶湖疏水を下がったところ、桜や紅葉の樹々に囲まれた、ひっそりとした神社である。祭神は天児屋根(あめのこやね)と天太玉命(あめのふとだま)の二神とするところから、両羽(もろは)大明神といったが、後に諸羽(もろは)に改めたと伝えられている。


毘沙門堂の勅使門

『毘沙門堂』
山科駅から歩いて20分ほどの山間にある天台宗門跡寺院の名刹である。鎌倉時代に平親規(ちかのり)が上京区の出雲路に興した寺で、毘沙門天を本尊として安置したことから、毘沙門堂といった。応仁の乱後荒廃していたが、江戸時代になってこの地に再興され、公弁法親王が入寺されてより、門跡寺院となった。仁王門から境内に入ると本堂、霊殿、宸殿などが建ち、門跡寺院らしい荘厳なおもむきである。特にこの季節は宸殿前の枝垂れ桜が見事である。

『双林院(山科聖天)』
毘沙門堂の塔頭の一つ。境内に歓喜天を奉る聖天堂がある。

『瑞光院』
赤穂浪士ゆかりの寺で、浅野内匠頭の供養塔がある。


安祥寺の本堂

『安祥寺』
琵琶湖疏水を隔てた安祥寺山のふもとにある。仁明天皇の女御藤原順子により開山された平安時代の名刹である。広大な寺域であったが、平安時代末期には衰退し、応仁の乱によって荒廃した。

今の建物は江戸時代後期、宝暦年間に再建されたもの。

<終>