澪 標

 光源氏が須磨、明石より帰京して、その地位を固めていく。 
 翌年の秋、光源氏は須磨での水難を救ってもらった御礼にと、大坂の住吉神社に詣でる。それには、世の中も騒ぎになって、多くの随員がお供した。
 それらの華麗な衣裳の装いは、次のように記されている。

 松原の深緑なるに、花紅葉(もみぢ)をこき散らしたると見ゆるうへのきぬの濃き薄き、数知らず。六位のなかでも蔵人(くらうど)は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞籬(みずがき)恨みし右近の尉(じょう)も靫負(ゆげひ)になりて、ことことしげなる随身具したる蔵人なり。良清(よしきよ)も同じ佐(すけ)にて、人よりことにもの思ひなきけしきにて、おどろおどろしき赤衣(あかぎぬ)姿、いときよげなり。

 このころは冠位の色として、一位の深紫より、二、三位の浅紫、四位緋、五位浅緋、六位深緑、そして浅緑、深緑、浅縹と定められていた。
 「うへのきぬの濃き薄き」とあるのは、紫が省略されていて、濃き紫、浅き紫の意味である。
 六位の蔵人の深緑の者には、天皇より下賜された、麹塵の御袍、紫根の紫と刈安の黄をかけあわせて染めた、渋い緑系を着用している。


撮影/森 寛一