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絵 合
光源氏が三十一歳のころ。六条の御息所の娘も冷泉帝に入内して、さきに上っている権中納言(頭の中将)の娘、弘徽殿(こきでん)の女御と競うようになっていた。
御息所の娘は絵画に秀でており、帝の好みとあって、優遇されるようになる。こうしたなかで、後宮(こうきゅう)において 物語の絵合せがおこなわれるようになる。
その日と定めて、にはかなるやうなれど、をかしきさまにはかなうしなして、ひだりみぎ左右の御絵ども参らせたまふ。女房の侍(さぶらひ)に御座(おまし)よそはせて、北南(きたみなみ)かたがた別れてさぶらふ。殿上人(てんじやうびと)は、後涼殿(こうらうでん)の簀子(すのこ)に、おのおの心寄つつさぶらふ。左は、紫檀(したん)の箱に蘇芳(すはう)の花足(けそく)、敷物には紫地の唐の錦、打敷(うちしき)は、葡萄染(えびぞめ)の唐の綺(き)なり。童(わらは)六人、赤色に桜襲(さくらがさね)の汗衫(かざみ)、衵(あこめ)は紅(くれなゐ)に藤襲(ふぢかさね)の織物なり。姿、容易など、なべてならず見ゆ。右は、沈(ぢん)の箱に浅香(せんかう)の下机、打敷は青地の高麗(こま)の錦、あしゆひの組、花足の心ばへなど、今めかし。童は、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵着たり。皆、御前に舁き立つ。上の女房、前後(まへしりへ)と装束(さうぞ)き分けたり。
帝の前には、着飾った童が並んで、絵を見せあう。
左方は、「蘇芳(すおう)の花足(けそく)」とあり、これは正倉院宝物の例から見て、黒柿の蘇芳染の花足と、私は解して染色を試みた。童の衣裳は、赤地に白をかけた桜襲や藤襲など。藤の襲は経糸(たていと)に藍で染めた糸、緯糸(よこいと)に紫 染の糸を打ちこんだもの。
右方は、下机の上に青地の 高麗の錦とあるので、正倉院の宝物を復元した、緑地の錦を置いてみた。童の衣裳は、柳の 襲、山吹の襲などである。
中央にかけた 桐竹鳳凰文の黄赤の布は、天皇だけに着衣が許されるという黄櫨染(こうろぜん)の織物である。このような場に 臨席されるおりに、着用されたのではという私の推測で、あえて 展示したものである。染色は古法にのっとって、蘇芳という南方産の木の芯材から採る赤と、櫨(はぜ)の木の芯材から採る色を混色して、天子の色を 再現したものである。
撮影/森 寛一
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