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野 分
光源氏が栄光の座についた証ともいうべき「六条院」が完成した。そこに、秋の台風、「野分」が通って いった。
光源氏は、息子の夕霧を名代として、六条院の庭を見回らせる。
中将おりて、中の廊(らう)の戸より通りて、参りたまふ。朝ぼらけの容貌(かたち)、いとめでたくをかしげなり。東の対の南のそばに立ちて、御前のかたを見やりたまへば、御格子二間(みかうしふたま)ばかり上げて、ほのかなる朝ぼらけのほどに、御簾巻き上げて、人々ゐたり。高欄(かうらん)に押しかかりつつ、若やかなる限りあまた見ゆ。うちとけたるはいかがあらむ、さやかならぬ明けぐれのほど、いろいろなる姿は、いづれともなくをかし。童女(わらはべ)おろさせたまひて、虫の籠(こ)どもに露飼はせたまふなりけり。紫苑(しをん)、撫子(なでしこ)、濃き薄き衵(あこめ)どもに、女郎花(をみなへし)の汗衫(かざみ)などやうの、時にあひたるさまにて、四五人連れて、ここかしこの草むらに寄りて、いろいろの籠どもを持てさまよひ、撫子などの、いとあはれげなる枝ども取り持て参る露のまよひは、いと艶(えん)にぞ見えける。吹き来る追風(おひかぜ)は、紫苑(しをに)ことごとに匂ふ空も、香のかをりも、触ればひたまへる御けはひにやと、いと思ひやりめでたく、心懸想(げさう)せられて、立ち出でにくけれど、忍びやかにうちおとなひて歩み出てたまへるに、人々、けざやかにおどろき顔にはあらねど、皆すべり入りぬ。御参りのほどなど、童なりしに、入り立ち馴れたまへる、女房なども、いとけうとくはあらず。御消息啓(せうそこけい)せさせたまひて、宰相の君、内侍(ないし)など、けはひすれば、私事も忍びやかにかたらひたまふ。これはた、さいへど気高く住みたるけはいありさまを見るにも、さまざまにもの思ひ出でらる。
朝早く、秋好中宮の庭には、童女が 庭におりて、虫の籠などを整えていた。その衣裳は、紫苑(紫の濃淡)、撫子、濃い紫、薄い紫、そして女郎花など、まさに「時にあひたる」さまであった。
女郎花は経糸(たていと)に青、緯糸(よこいと)に黄を打ちこんだもの。撫子は濃い紅花と、藍と黄色を掛けあわせた若い葉色などである。
撮影/森 寛一
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