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葵
光源氏の正妻である葵上は、夕霧を生んだあとに亡くなる。
源氏物語が著わされた時代も、近親が亡くなって喪に服する期間は「鈍色(にびいろ)」の衣裳を着用することになっていた。
ここにかかげた衣裳は、団栗の実や矢車の実で染めて、鉄分が溶けたいわゆるお歯 黒の液で発色した、墨系の各色で、近親ほど黒に近い濃いものを着用する習わしがあったという。
葵の亡くなったあと、六条の御息所から光源氏に弔問の文が届けられる。それは青い和紙ではなく、その上に鈍色を掛けて、少し黒味をました、青鈍(あおにび)の紙であった。
光源氏は、それにお返事をするが、それは紫で染めたうえに、鈍色のかかった紫鈍(むらさきにび)というものであった。
単なる、鈍色ではなく、青あるいは紫の色がかかった手紙に文をしたためるという、王朝人の美意識が感じられるものである。
右の衣裳は、その秋になって時雨があるころ、義兄でもあり、親友である頭の中将が、光源氏を訪ねてきた。
時雨うちちて、ものあはれなる暮づかた、中将の君、鈍色(にびいろ)の直衣、指貫(さしぬき)、うすらかに衣がへして、いとををしうあざやかに、心はづかしきさまして参りたまへり。君は、西のつまの高欄(かうらん)におしかかりて、霜枯れの前栽(せんざい)見たまふほどなりけり。風荒らかに吹き、時雨さとしたるほど、涙もあらそふここちして、「雨となり雲とやなりにけむ、今は知らず」とうちひとりごちて、頬杖(つらづゑ)つきたまへる御さま、女にては、見捨ててなくならむ魂かならずとまりなむかしと、色めかしきここちに、うちまもられつつ、近うついゐたまへれば、しどけなくうち乱れたまへるさまながら、紐ばかりをさしなほしたまふ。これは、今すこしこまやかなる夏の御直衣に、紅のつややかなるひきかさねてやつれたまへるしも、見ても飽かぬここちぞする。中将も、いとあはれなるまみにながめたまへり。
中将はすでに衣替えして、鈍色の直衣を着用していたが、 光源氏は、まだそれより少し濃い夏の直衣であったが、その下には紅のつややかな るものをひきかさねていた。
その光源氏の姿を再現して、紅花の濃い下襲に矢車で染めた墨染色を配した。
撮影/森 寛一
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